「神のために働く」  08.04.20
              ローマ 15:14〜21

 信仰を通してのものの見方があります。私たちは、天地の造り主、
全能の父なる神さまを信じる信仰の目によって、世界を根底から
支え、治めておられる神さまの働きに焦点を合わせて、世界や
身の回りのことを見ます。そこになされている神さまの働きかけに
驚き、感心し、信頼を深めて、歩みを進めていくのです。
 パウロという人は、初代のキリスト教会にとってなくてはならない
大切な働きをした人です。使徒言行録などから、彼の偉大な働きの
数々を知らされます。けれども、彼は自分のこれまでしてきたことを
振り返りながら、自分の実績に目を注ぎはしません。自分ではなく、
主イエスの働きに目を注ぎます(18〜19節)。これまでの一つ一つの
出来事に、主が働きかけてくださっていたことを見抜いています。
道を開き、良き方向へと導いてくださったことへの感謝であふれて
います。彼は、主イエスの働きを見据えていました。だからこそ、
命の危険や困難や苦労があっても、教会にとって大切な働きを、
着々と成し遂げていくことができました。
 彼は自分の小ささを知っていますが、決して卑屈になりません。
 一生懸命に働きましたが、決して傲慢にもなりません(コリント一
15:8〜10)。私たちは、自分のしたことの成果を求めすぎるのでしょう。
 自分のしたことが成果を残せば喜び誇りますが、そうでなければ
がっかりして自身を失うことが多いのではないでしょうか。
 「しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の
恵みなのです」という、パウロの姿を、聖書は私たちに見せて
くれます。
 内村鑑三は、クリスチャンは「勇ましい高尚な生涯」を後世への
遺産として残せると言いました。それは、この世界が悪魔でなく、
神が支配する世界であると信じるゆえに、希望と喜びを持って
生きる生涯のことです。
 
信仰の目を持って神さまと世を見る私たちは、恐れや失望の
中で生きるのではありません。
 幼い者から高齢の者まで、平安の中で雄々しく生きるのです。